先生の、見つめてきたもの │ Vol.11
新しい術式との出会いが自分を変え、
眼科医として成長させてくれた
同級生が眼科を選択したことで興味を持ち、現役医師として長く活躍できそうだと感じたこともあり、この領域を選択しました。その上で、最新の医療情報を入手できる環境に身を置きたいと考え、広島大学に留まらず上京して大学病院の眼科学教室に入局したのです。しかし、当時の白内障手術は今と比べると質の低いもので、患者さまに貢献できているという感覚があまり持てませんでした。理想と現実のギャップに悩み、一時は医療の世界から離れてヨーロッパを旅し、輸入商として食べていく道も真剣に検討したほどです。
しかし、やはり自分には医師の仕事が合っていると思い直して帰国しました。その後、非常勤で勤めた総合新川橋病院で出会ったのが、白内障の新たな手術法です。1985 年にカナダで誕生したこの術式は革新的なもので、現在の白内障手術にかなり近い内容でした。幸いにも、それを習得した貴重な先生が病院に赴任され、直接教えを受けることができたのです。入院不要で、翌日には視力が回復していく患者さまの姿に感動し、率先して技術を磨いていきました。
しかし、やはり自分には医師の仕事が合っていると思い直して帰国しました。その後、非常勤で勤めた総合新川橋病院で出会ったのが、白内障の新たな手術法です。1985 年にカナダで誕生したこの術式は革新的なもので、現在の白内障手術にかなり近い内容でした。幸いにも、それを習得した貴重な先生が病院に赴任され、直接教えを受けることができたのです。入院不要で、翌日には視力が回復していく患者さまの姿に感動し、率先して技術を磨いていきました。
年間4,000 件もの手術で腕を磨き
難易度の高い症例を一手に担う
新たな術式の経験を積んだ後、1995 年に井上眼科へ入職しました。当初は、主に若い医師へ手術を教える役割が期待されていたと思います。新技術をどのように普及させるかは常に医療現場の課題であり、手術の様子をライブ配信するなど、今でも教育・啓発活動には力を入れています。一方で、自ら手術を担当する機会もどんどん増えていきました。当院に入職してから10 年で、白内障手術の症例は4 ~ 5 倍に増加。手術室なども増築し、患者さまのニーズに対応するかたちで規模を拡大していきました。
現在、私が当院で担当する白内障手術は年間2,000 件ほど。外部の医療機関でも同程度の手術を行うため、毎年約4,000 件のペースになります。いわゆる難症例も数多く手掛け、他の疾患を合併しているケース、小児白内障(乳幼児など)のケース、合わなかった眼内レンズを交換するケースなど、難易度の高い症例を担ってきました。稀なケースにも柔軟に対応できることが、当院を選んでいただく理由の一つになっているのでしょう。
決して基礎を軽んじることなく
100 点に近づくため己を磨き続けたい
白内障手術は、フィギュアスケートや体操などの競技に似ている点があります。患者さまの元の健康な目を100 点とするならば、手術でその状態にいかに近づくことが出来るのか。その意味でゴールはとても明確です。それ故、95 点で満足するのではなく、いかに満点に近い場所へ到達できるか、それが手術の腕の見せ所といえます。患者さまが自覚できないような細かいレベルのことでも常に最善を追い求め、自分を磨き続けることを大切にしています。
そのためにも重要なのが、「基礎」を軽んじないこと。大きな建造物では、基礎にわずかなズレが重なることで全体に大きな影響を及ぼし、ついには倒れてしまうことも少なくないのだとか。これは、白内障手術にも通ずる話だと思います。やるべきことを着実に、そして精緻に実行し続けることこそ、質の高い医療の提供につながると信じています。
そのためにも重要なのが、「基礎」を軽んじないこと。大きな建造物では、基礎にわずかなズレが重なることで全体に大きな影響を及ぼし、ついには倒れてしまうことも少なくないのだとか。これは、白内障手術にも通ずる話だと思います。やるべきことを着実に、そして精緻に実行し続けることこそ、質の高い医療の提供につながると信じています。